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「らしい」「らしくない」

「○○らしいなぁ」を口癖のようにほめ言葉にする友人がいる。

オイラはまじめそうに見える(まあ実際まじめなんだろうが)からか、過去のぶっとんだエピソードを話すとかなり驚かれる。いま「ぶっとんだ」と書いたが、じつは本人的にはそんなつもりはなく、たまたまそうなった事を話しているだけなのだが「意外だ」と驚かれる。

「てんびんの詩」という映画(教材?)がある。じつに素晴らしい話なのでその友人に熱っぽく語っていると「オマエらしいなぁ」と返事があった。

同じく、とあるオイラの過去のエピソードをおもしろおかしく話していると「意外だ」と驚かれた。そんなことするような奴には思えなかったらしい。

で、「それって偏見だよなぁ」なんてぼんやり思っていたのだが、うむむしかし、自分がどう思おうがそれは結局「自分がどう思ってるか」だけであって、「人にどう思われるか」は変えようがないんだな。だから、差別はなくならない。偉そうに言ったってオイラにだって偏見はある。ここで「偏見はいけない」なんて騒いだって何の意味もない。

以前とある外国人に「キミは日本人なのにいいやつだな」と言われたことがある。

「ボクきっかけで日本人のイメージが変わってるのならいいんじゃないか」と思う反面、「わーい、ボクは日本人離れしている。日本人はやっぱり駄目だ」などとは手放しでは喜べない(そうやって喜んでいる人、ずいぶん多くないか)。

「らしい」ことがぴったりあてはまって「らしくない」ことは水に合わないこともあるだろうが、その一方「らしい」ことをしたって本人が納得いってなければ駄目だし、「らしくない」ことをしたってそれが本人の偽らざる気持ちならそれでいい。「らしい」「らしくない」という言葉の定義がこんなにフワフワしているんだから、それほどこだわる必要もないのかも。

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